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神父さんのおはなし

地獄はどこにある 2024年9月

先日テレビを見ていたら、サンドウィッチマンと芦田愛菜さんの「博士ちゃん」という番組に、地獄が大好きな子ども博士ちゃんが出演していました。
彼は仏教の教える地獄に 興味津々で、子供とは思えない知識量でスタジオの三人に仏教の地獄について解説していました。
実のところ、確かに仏教の教える地獄の細かい「設定」が面白いのは事実で、八大地獄や、それぞれの地獄にはどのような罪を犯した人が入れられるのか、地獄ではどのような刑罰を受けその期間はどのくらいなのか、という妙に具体的な話は興味をそそられます。
彼は「地獄に行きたい!」と言ってご両親を困惑させていましたが、まあ確かに笑顔で地獄に行ってみたいと言われたら苦笑いするしかなさそうです。


さて、キリスト教の教える地獄には仏教の教えるような細かい設定はあるのでしょうか。
確かにルネサンスのイタリアの詩人ダンテの描く「神曲・地獄編」では、地獄の構造や入れられている人々についての描写はあります。とはいえダンテの神曲は当時のローマ教会の地獄についての考えを膨らまして書かれたエンターテインメントですから、私たちが地獄について考えるときの参考にはあまりならないでしょう。あるいは聖書ではウジも火も尽きることがないゲエンナという場所、地獄について記されている箇所もありますが、仏教の地獄のように具体性に富んだ書き方ではありません。

 

正教会ではむしろ地獄を、どこか地の底にある刑罰の「場所」というよりは、私たち一人一人の心の中にある一種の「状態」として捉えます。
私たちの心が愛を拒絶する状態にあるの ならばそれが地獄です。神からの愛も、人からの愛も拒絶し、全てに背を向けて恨みと憎しみを募らせている状態こそが地獄です。


全ての物事が忌まわしく疎ましく、誰からも愛されていないという思い込みにがんじがらめに縛られて、心に恨みの炎をたぎらせているその火の苦しみが人を苛む地獄の炎です。そのような状態にあると、 神や隣人から注がれる愛も、むしろその人にとって苦しく鬱陶しい責め苦となります。 少しでも人を恨んだことのある人ならば、その炎がいかに苦々しい、心を痛めつけるものかということを知っているはずです。 地獄の苦しみは私たちの内面にある孤独と憎悪から生まれます。 私たちが救済されるということは、この自縄自縛の苦しみの中から、自分自身も含むすべてを赦し赦され、軽くなって神の懐に入って全ての愛を素直に受け取れるようになることです。


先述の地獄に興味津々の博士ちゃん 、地獄に行きたいようですが、お父さんお母さんは彼の閻魔大王めぐりに付き合ってくれているし、彼の地獄トークを苦笑いしながらよく聞いてくれるし、彼もお父さんお母さんと話していて楽しそうだったし、実のところそこには愛が感じられるわけです。この博士ちゃんはまだまだ地獄に遠そうだな、と安心したのでした。

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