北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂
続「イコンの聴き方~山下りんのイコンに心の耳を傾ける」
ダヴィド水口優明
2018年文化講演会より
ゲッセマネの祈り
ゲッセマネの祈りの神学
神性と人性をもつハリストスは、 「神としての意志」 と 「人としての意志」の二つの意志をもつ。 そして、人意は神意に常に従う (ただし二つの人格が合体しているのではない)。
「杯(受難と死)を避けたい」 という思い、 「死ぬほどの悲しみ」 は、 人としての偽りなき性質。 しかし、ハリストスの 「人としての意志」はその感情を超えて、「神の意志」に従順であったこと(「みこころのままに」) を私たちに示している。
「心は熱しているが、肉体が弱い 【神° は勇めども肉体は弱し】」 →藉身の神は人の弱さを良く知っておられる。
解説
「ゲッセマネ」 : 「油搾り」の意味。 エルサレムの近くの
丘である「オリーブ山」の中にある 「オリーブ園」。
「ペテロ、 ヤコブ、ヨハネ」 : 12 弟子の内の三人。 重要
な場面の証人としてしばしば選ばれている。
「恐れおののき、また悩みはじめて」 : これからふりかか
る受難を予知しておられるということ。
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「わたしは悲しみのあまり死ぬほど」 : 正教会訳では 「我
が霊、憂いて死に近づけり。」 → 「我が霊、 我の中に悶
ゆ。」 (第41 聖詠) / 「我が霊、 何ぞ悶え、 何ぞみだ
るる、神を恃め。」 (第42聖詠)
「アバ」 : アラム語で 「お父さん」 の意味。
「できないことはありません」 : 全能の神。
「この杯」 : 受難・十字架 ・ 死。
「みこころのままに」 : 神の意志に従う。
「シモン」 : ペテロの元の名。ペテロはあだ名。
「眠っているのか」 : この時、弟子たちは眠っていたのだ
から、ハリストスがどのように祈ったかは不明な筈。
それにもかかわらず、この出来事が詳細に書かれてい
るのは、復活後にハリストスから聞いた、ということ。
「誘惑」 : ハリストスを否認させようとする誘惑。
「眠っていた」 : ゲッセマネの祈りは、木曜日の夜から深
夜にかけての出来事。 イイススは徹夜して祈った。
肝心の弟子たちは目覚め続けることができなかった。
「三度目に」 : 同じ祈りを三回繰り返した。
「時が来た」 : ハリストスが来たのはこの 「時」のため。
「わたしを裏切る者」 : 12 弟子の一人イスカリオテのユ
ダ。 皮肉にもユダは眠っていない!
「裏切る者」 →正教会訳では「我を付 (わた) す者」「罪
人の手に渡される」 と同じ言葉。
このイコンの構図は、 19 世紀後半のロシアでとても有名だった画家フョードル・アントノヴィチ・ブルーニが描いたものが元になっている。 ロシア皇太子アレクサンドルへのクリスマスプレゼントとしてその複製が画家自身から贈られ、その後、 石版印刷によってロシア中で流行した。
曲田教会のこのイコンは山下りんではなく、 ロマノフ皇室聖像画家によって描かれたもの。 曲田聖堂の建立を祝してロシアの正教会本部からニコライ堂を介して献納された。 もとはロシアのキエフにある修道院に掛っていた。
杯
祈るイイスス 体と顔、視線は、杯のある方向というより、天に向けられている。
月 ? 太陽 ?
地を水の上に懸けし者は、 今日、木に懸り、諸天使の王は棘の冠を冠らせられ、
雲を以て天に衣する者は偽りの紫を衣せられ、
イオルダンに於いてアダムを釋きし者は頬のたるるを受け、教会の新郎は釘にて釘せられ、 童貞女の子は戈にて刺されたり.
ハリストスよ、 我等、 なんじの苦しみに伏拝す.
ハリストスよ、 我等、 なんじの苦しみに伏拝す.
ハリストスよ、 我等、 なんじの苦しみに伏拝す.
なんじの光栄なる復活をも我等に顯わし給え.
神使首ラファイル
「ラファイル (ラファエル)」= 「神は癒す」 の意味
トビト書に出てくる天使。旅人を守る。 癒しを施す。
トビト書 (七十人訳聖書)
14:32 メディアまでの道に詳しく、一緒に行ってくれる人
を探しに、トビアは外に出た。 出てみると、 天使ラファ
エルが目の前に立っていた。 しかしトビアには、神の使
いであることが分からなかった。 ・・・
12:15~ わたしは、栄光に輝く主の御前に仕えている七
人の天使の一人、ラファエルである。・・・ラファエルは
二人に告げた。 「恐れることはない。 安心しなさい。 とこしえに神をほめたたえなさい。・・・」。 こう言ってラファエルは天に昇って行った。
・・トヴィトに神使同行者を遣わし、これに因りて彼の旅行に平安を賜いし至善の主や、我等、爾に祈る爾の僕婢に安和の神使を遣わし、・・・彼等に壮健、平安、 及び悪なく帰るを賜わん事を切に祈る.
神使首セラフィル
セラフィル(サラフィエル)=「神への祈り」の意味。
※ 「セラフィム」 とは違うので注意
「セラフィル(サラフィエル)」
聖書には記述がない。
一説では黙示録8章に出てくる 「香炉を持った天使」 とされる。イコンでは、目を伏せて両手を胸に組む姿勢をとる。祈祷の時の集中力を助けてくれる天使。
黙示録 8:3~
8:3 また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。 たくさんの香が彼に与えられていたが、 これは、すべての聖徒の祈に加えて、 御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。8:4 香の煙は、 御使の手から、 聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。
平安の神使(しんし)、正しき教導師、我が霊体の守護者を賜わんことを主に求む.主、賜えよ.
マルコによる福音書 14:32~
14:32さて、 一同はゲッセマネという所にきた。 そしてイエスは弟子たちに言われた、 「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。
14:33 そしてペテロ、ヤコブ、 ヨハネを一緒に連れて行かれたが、 恐れおののき、また悩みはじめて 彼らに言われた、14:34 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。 ここに待っていて、目をさましていなさい」。 14:35 そして少し進んで行き、地にひれ伏し、 もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、 そして言われた、14:36 「アバ、 父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。14:37 それから、 きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、 「シモンよ、眠っているのか、 ひと時も目をさましていることができなかったのか。 14:38 誘惑に陥らないように、 目をさまして祈っていなさい。 心は熱しているが、肉体が弱いのである 」 。14:39 また離れて行って同じ言葉で祈られた。
14:40 またきてごらんになると、 彼らはまだ眠っていた。その目が重くなっていたのである。 そして、彼らはどうお答えしてよいか、わからなかった。14:41 三度目にきて言われた、 「まだ眠っているのか、休んでいるのか。 もうそれでよかろう。 時がきた。 見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。14:42 立て、さあ行こう。 見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。