top of page

神父さんのおはなし

2025年11/1発行 会報『不来方より』抄録

 

ここ数週間、日本の政治の動きがあれやこれやと大きく話題になりました。政局というのは多くの人が夢中になり、ああでもないこうでもないと語りたくなるような、何かしら の魅力があるのだなあと眺めています。

さて、正教の奉神礼には「皇帝 (天皇)」と「國を司る者」への祈りが織り込まれています。 大連祷や重連祷でも祈られるし、 祈祷の最後の「萬寿詞」でも祈ります。

現在の日本では 「天皇」は憲法により「日本国と日本国民統合の象徴」と定められているので、正確には国の統治者ではありませんが、明治時代に祈 祷書が翻訳された時点では間違いなく日本を統治する立場でした。

また現在は読まれていない祈祷書の古いテキストでは、皇帝 (天皇) の次に皇族たち、帝国議会、百官有司 (官僚) らについて祈られています。正教は国家の統治というものについて、 神の祝福があるように祈り続けてきた伝統があるのです。

 

これは決して国家の統治者を礼賛し、彼らを無条件に褒め称え追従することを意味しません。教会に属する信徒や神品も一人の国民 としては様々な意見や政治的な見解を持っているでしょうし、時の政権に肯定的な人も否 定的な人もいることでしょう。それ自体は健全なことですし、民主主義社会が成熟していることの証左でもあります。しかし少なくとも日本の正教会が特定の政治団体や政治思想を、教会として推奨したり逆に排除したりすることはありません。ここで祈られているの は、ただ一重に国家の安定と平安な統治が行われることです。

 

歴史を振り返れば正教はいつも政治や国際情勢に振り回されてきました。古くはローマ帝国から迫害され、次に一転して国教となりました。やがて異教徒に帝国の領土はかじり取られ、そこに住む人々は異教徒の統治者の顔色一つで自分たちの立場と生命を脅かされるようになりました。 あるいは近代帝国の統治機構の中に教会が飲み込まれてしまったり、あるいは無神論政府によって教会が根絶やしにされる寸前まで追い込まれたこともあります。私たち正教徒の信仰生活は、時として政治情勢に大きく左右されてしまう場合があるのです。

 

私たちが国家の統治者のために祈るということはこの極限の状況を知っているからです。たとえ統治者が異教徒であろうと、無神論政府であろうと、教会は彼等のために祈り続けてきました。神が彼らに国家統治のための知恵と良心を恵み、国が豊かに平安であるように、民衆に穏やかな生活が与えられるように願い続けてきました。それは政治的思想の違いや党派性を越えた祈りです。

 

聖体礼儀の聖変化の祈祷の直後司祭が黙誦する祝文の中に 「主や、彼等 (国家の統治者) に泰平の国政を賜へ、我等も彼等の平和により、凡の敬虔と潔浄とを以て、恬静安然(穏やかやかで平穏なこと)にして生を度らんが為なり」という言葉があります。 私たちの信仰生活は統治者の政治が正しく行われる ことによって守られていることを正教は知っているのです。 私たちがなぜ国家のために祈るのか、この機会に考えてみるのも良いかもしれません。

見学および取材ご希望の方は
​メールまたはお電話にてお気軽にお問合せください。

For those who wish to visit and cover the event, who would like to learn more about the Orthodox Church,
Please feel free to contact us by e-mail or phone.

管轄 盛岡ハリストス正教会 司祭 ピーメン松島拓

morioka.orthodox@gmail.com

連絡先 :盛岡ハリストス正教会 019-663-1218

     ( 教会事務局:個人宅  0186-42-1443 )

©2023 北鹿ハリストス正教会生神女福音会堂

bottom of page