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シャンデリア

正教会のシャンデリアには単に堂内を明るくするという便宜的な意味の他に「天空の星々」を象徴的に表しています。
聖書では、天体の光は至と高き所にいます「神の光栄」を顕していますので、シャンデリアは上から降ってくる「神の光」、すなわちハリストスの光をかたどっています。

​当教会のシャンデリアの由来

北鹿ハリストス正教会の曲田生神女福音会堂は、明治25年建立の古い建物ですが、中にあるシャンデリアは、もともと愛媛県松山市に建てられた復活聖堂にあったものです。
 日露戦争の時に、松山市にロシア兵士たちの捕虜が収容され、百人近くの人々がそこで永眠しました。彼等の安息を祈るため、日露戦争終了後に松山に聖堂が建立されました(明治41年)。
聖堂建立のための費用はすべてモスクワの大富豪クセイア・フェオドロヴナ・コレスニコワ姉の献納によるものでした。
 大正12年の関東大震災でニコライ堂が崩れてしまい、やむをえず松山の復活聖堂をそっくり東京まで移すことになりました。ニコライ堂境内の中に移築された旧松山聖堂は、奇跡者ニコライ聖堂となり、老朽化のために解体されるまで使用されました(昭和37年)。
 旧松山聖堂にあったイコノスタスは大阪の庇護聖堂に、他のイコンはニコライ堂の中に、鐘は函館に(供出のため現存せず)、そしてシャンデリアは北鹿の生神女福音会堂に運ばれたのです。
 当会堂のシャンデリアは、慈しみに溢れる光(神の光栄)として私達を包んでくれます。

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