北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂
神父さんのおはなし
感動体験とよろこびと 2024年5月
先日あるビジネス書のさわりを読んだところ、楽天ゴールデンイーグルスの社長を務めた人物のビジネス論、リーダー論が載っていました。 当時あまり芳しいとは言えなかった球団の経営状況を、コストカットではなく売り上げ=観客動員数の増加で解決した原動力について語られています。売り上げを増やして収支を改善するというのはもちろんそれがベストであることは皆知っていますが、コストカットやリストラと比べて即効性に乏しく、地道で長いスパンの努力が必要です。決して簡単なことではありません。 しかし彼が それをできると信じた根拠は何だったのか、 ということが記事の主眼でした。 それは幼い頃にこの社長が神宮球場のナイターに連れて行ってもらったことだと社長は語ります。
「ものすごくまぶしい光が降り注ぎ、 僕は思 わず手の平で目を覆いました。それと同時 に、ウワーッという地鳴りのような歓声に包まれ、『おおおお! なんだこれは!』 と言葉にならない感情がこみあげてきました。 あの『強烈にワクワクする感覚』は、いまだに生々しく覚えています。 そしてあの瞬間に、『野球ってすごい!』 『野球って面白い!』 という感動が、僕の心の奥深くに刻み込まれたのです」
この実感があったからこそ、 社長は観客増員、売り上げ増による経営改善に確信が持てたし、社員たちともビジョンが共有できたのです。 この感動を広く伝えていけば球場に足を運ぶ人は増えるに違いないと信じることができました。 この社長は結論として、人を動かすのに重要なのは、 最終的には「ロジックではなく」「実感」 によって思考を深めることではないかと言っています。 理詰めだけでは物事の本質的な部分を掴むことはできないのです。
彼の原点が 「球場」 という現場での「感動」 にあったという点で、私は大変この記事に感銘を受けました。というのも教会も同じだと思うからです。キリスト教の精緻な神学は1000年以上編み上げられて、書店に行けば学術書としてその一端に触れることができます。「教会について」の情報はインターネットや新聞記事にも溢れています。しかし「教 会」そのものを知るためには結局「教会」という現場、「奉神礼」という現場に来なければ何も分からないのです。多くの人が教会を「情報」で理解しようとし、時に情報に振り回されてうろたえたり、あるいは見当違いの解釈をしていたりするのを残念に思います。 教会は本の中にも、新聞の中にも、ましてスマホのSNSの中にもありません。教会は「奉神礼」の現場の中にあるからです。 教会の奉神礼の中で得た実感こそが教会を動かし育み続けてきた原動力です。 「ハリストスの復活とは何だったのか」といくら理詰めでロジカルにアプローチしてもその答えにはたどり着きません。しかし復活祭の奉神礼には、 主の復活の生々しい実感に圧倒される体験があります。 その体験の原点は使徒たちが復活した主に出会った時の驚きと畏れ、そして歓喜であり、その輝かしい使徒の体験が私たちの奉神礼にも脈々と受け継がれているのです。
この社長が神宮球場でカクテル光線と地響きのような歓声の中で味わった感動以上の感
動が、真夜中の闇の中で光り輝く教会にあります。 「ハリストス復活」「実に復活」と呼び 交わし、この大いなる歓喜を共に味わいまし ょう。