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ペトル佐々木

 佐々木 巌は、日本人正教徒でありイコン画家。聖名はペトル。秋田県大館市出身。フィンランドにおけるローマ字表記は"Petros Sasaki"(ペトロス ササキ)

ニコライ堂境内にある日本正教会が運営する神学校を卒業後、フィンランドに渡りクオピオに居住。多くのイコンをフィンランド正教会のために描いた。クオピオとオウルを中心に活動し、イコン制作に勤しみつつ多くの後進の指導に当たり、フィンランドの教会生活・芸術に貢献した。

ペトル佐々木は主にフィンランド正教会で活躍したため、日本正教会に遺されている作品は多く無い。それでも日本正教会に対して神学校時代に数点のイコンを献納しており、さらにフィンランドに渡って後に1点のイコンを日本正教会に寄贈している。それらは山田正教会生神女福音会堂やニコライ堂などに収められている。佐々木の墓は、リントゥラ至聖三者女子修道院の墓地にある。(以上Wikipediaより引用)

もう一人の聖像画家 
 
イコン画家 ペトル佐々木 巌(いわお)は、昭和14年(1939) 8月23日大館市中山に生まれました。幼い頃に北鹿ハリストス正教会曲田福音会堂の信者として受洗しました。

大館鳳鳴高校時代には美術部に所属。 高校時代、 ベニヤ板に1日で聖像画を描いて神学校に行くことを決意したといいます。

神父を目指して上京し、神田駿河台の日本ハリストス正教会本部・ニコライ堂に併設された正教神学校で学びながら、 千代田美術専門学校に通いました。 その時、 ビザンチン美術に強くひかれ、イコン画家を目指すようになります。

1964年にギリシャ・アテネへ僅か2,000円を持ち留学しましたが、旅費もままならず、つてを得てオリンピック聖火を運んだ航空機の復路を利用したといいます。1969年には活動拠点をフィンランドへ移し、 東部のフィナウェシ市にあるヴァラモ修道院で本格的にイコンの研究に打ち込みます。 その技芸は、大主教パウエルや大統領の信頼を得て異例の早さでフィンランド国籍を取得することになりました。

1975年に、フィンランド人のマルヤさんと結婚し、 数多くのイコン画を制作。 多くの後進を育て、 正教会の精神文化と芸術に貢献したとして、 1982年にはロシア正教会から最高の栄誉である聖ウラジミール勲章を授与されました。

晩年は、 板絵イコンからフレスコ画に力を注ぎ、 癌と闘いながらも亡くなる寸前まで描き続けたカヤー二変容教会のフレスコ画は、集大成として評価され、信仰を求める地元の人々に力を与えています。

平成11年 (1999) 3月 享年60歳

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