北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂
山下りん
この会堂内部正面にはハリストス(キリスト)やマリア、天使、福音記者などの油彩のイコンが整然と設置されており、美術的にも貴重な存在である。イコンとはギリシャ語で「像」の意味であり、「神の国を伝えるイメージ」である。曲田会堂のイコンはこの会堂に合わせてイリナ山下りんが描いたものである。
山下りん(洗礼名 イリナ)は、安政4年(1857)上州笠間(現茨城県笠間市)で生まれた。 明治10年、20歳の時に創立まもない上野の工部美術学校に学び、正規の洋画教育を受けた日本で最初の女流洋画家として注目されている。絵画科の教授フォンタネージュ(イタリア王立トリノ美術学校教授)から指導を受け、才能を伸ばしていく。
『北鹿ハリストス正教会聖堂保存修理工事報告書』
(大館市教育委員会)より
明治13年12月~16年4月の2年間、ニコライに薦められて単身ペテルスブルグ(旧レニングラード)の女子修道院に留学。イコンを学びながら、エルミタージュ美術館にも通い、イタリア・ルネッサンスの宗教絵画も学ぶ。帰国後、東京神田駿河台の女子神学校の宿舎に住まいしながら日本正教会の為に多くのイコンを手がけるが、大正7年に故郷の笠間に帰り、昭和14年(1939)1月26日82年の生涯を閉じる。彼女の作品はイコン(聖像画)という特異な分野での作品であるが、ルネッサンス初期のイタリア画家の手法も感じられ、女性らしい柔らかい感情のこもった表現は美術家の中でも高く評価されている。
曲田会堂のイコンは、明治24年~25年の製作で、彼女が35歳の時であり、ロシア留学から帰国して8年後の事であった。同時期の作品として明治24年ロシア皇太子ニコライが訪日した時に献上された蒔絵装丁の「主の復活」がある。(現エルミタージュ美術館蔵)
曲田の会堂は明治時代の擬洋風建築として文化的価値が認められ、昭和41年3月22日秋田県から「現存する我が国最古の木造ビザンチン様式教会堂建築」として重要文化財の指定を受けている。一方、会堂内のイコン19点は近代日本の黎明期における洋画法を用いた例として美術史上の価値も大きく、平成3年9月3日大館市の文化財に指定され、訪れる人を魅了している。
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救主ハリストス(全身像)
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四福音記者
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神使長ガウリイル
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受胎告知のガウリイル
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復活聖像
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生神女福音聖像(受胎告知)
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セラフィム聖像
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大十字架至聖生神女(全身像)
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神使長ミハイル
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最後の晩餐
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受胎告知のマリア
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降誕祭
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神現祭
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ラファイル聖像