北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂
会報より
神使首ミハイル
神は天地創造の時に、私達の属する物質的な「見える世界」とともに、天使や霊的存在などの「見えない世界」もまた造られました。
天使とは見えない世界の霊的存在であり、神を讃美したり、私達人間を助けたりすることを役割としています。
神使首ミハイルはその中でも、天軍(天使の軍隊)の主将として悪魔と戦う役割を担っています。 イコンにおいて鎧と抜身の剣を持った姿で描かれるのはそのためです。 私達人間一人々にはそれぞれ天使の守りがあり、私達が罪に傾かないように、神に心を向けるように祈っていると言われています。見えない天使がわたしたちのために悲しむことのないように生きていきたいものですね。
生神女庇護祭
10世紀、正教を国教とする東ローマ帝国は、しばしばアラブ人の侵略に悩まされていました。首都であるコンスタンティノープルがイスラムの軍勢に包囲されていた時、人々が熱心に苦難からの解放を祈っていると、
アンドレイという一人の男が生神女マリアの姿を目撃、「生神女は人々の為に祈り、ストールのような布で信徒を覆い庇護して下さった」と言われた。
この奇跡の後、コンスタンティンノープルは再び町に平和が訪れました。この奇跡の出来事を「生神女庇護祭」として記憶するようになりました。
私達の望みをかなえる力を持つのは神だけですが、しかし生神女は神のすぐそばで、神といつでも気持ちを通わせでいます。 生神女は私達祈る者の声に耳を傾け、必要な助力を神に願ってくれるのです。
私達の住むこの世界も苦難の中にいますが、このような時だからこそ、私達は祈ることを思い出しましょう。
十字を描いて「至聖なる生神女よ、我等の為に神に祈りたまえ」と口ずさんでみましょう。生神女に祈る私達の声を、神にひとつひとつ届けて下さいます。
食前の祈りについて
主よ、衆人の目は爾を望む 爾は時に従いて彼らに糧を賜う 爾の豊かなる手を開きて、諸々の生ける者に爾の恵みを飽しむ
食前の祈りをして、神への賛美と感謝と畏怖を
もち、食事を通して神との交わりが出来ること
を喜びましょう。
痛悔について
痛悔の「罪」とは刑法に違反した罪という性格のものではなく、私達が神をきちんと見据えられているかどうか、むしろ心構えが問われています。神のほうをきちんと見ていない、神を忘れている、神を見ずに自分ばかりに注目し自己愛に捕らわれていることも罪です。私達が神を見据えられているかどうかという、姿勢や心構えの問題が問われています。私達は痛悔によって再び正しく神に立ち返ることができます。よい痛悔をして、清々しく爽やかに、安和な心で主のご聖体を受けましょう。