北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂
神父さんのおはなし
2025年8/1発行 会報『不来方より』抄録
先日テレビ朝日系列の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」 という番組で、女優の芦田愛菜さんがバルセロナの聖家族教会(サグラダファミリア) の建設現場を訪問し、主任彫刻家の外尾悦郎さんにインタビューするという企画が放送されていました。
聖堂中央に建設される予定の大塔 「イエスの塔」のプランについて芦田さんが尋ねると、外尾さんは「通り抜けるイメージ」を大切にしたいという趣旨の回答をされていました。
曰く 「イエスはすべてを通り抜ける。人の心もどんな条件も国民も人種も乗り越えてすり抜けちゃう」。
この回答を聞いたときにハッとしました。 外尾さんがキリスト教徒なのかどうかは存じ上げませんが、イイススのひとつの大切な側面を掴んでいるのだなぁと思ったからです。
復活したイイススが弟子たちに初めて姿を示した時、イイススは弟子たちが鍵をかけて閉じこもっている部屋に突然現れました。
また旅をしている2人の弟子たちにイイススと気づかれないまま同行し、パンを割いたときにその誰であるかを悟らせ、そしてそのまま姿が見えなくなりました。
復活のイイススはもはやこの世のいかなる制約にも捉われない自由自在な方として振舞います。物理的な障壁は意味をなさず、イイススを知る人にまるで知らない人のように現れ、そして突如ご自身が誰であるかを明かします。
それを「通り抜ける方」というイメージで表現しようとする外尾さんの理解に深くうなずいてしまいまし た。そして同時に私たちキリスト者はこの「通り抜けるイイスス」を自分のために閉じ込めようとしていやしないかとも思ったのです。
歴史を振り返ればキリスト教徒同士で「自分たちの派が正しい」言い換えれば「ハリストスはこちら側にいる」 と主張し、血で血で洗うような抗争をしてきたこともあります。キリスト教徒でない人々を、キリスト教徒でないことを理由に虐げたこともあったでしょう。現代でもハリストスを信じると自称する人が、違う信仰の形を持つ人に軽蔑や嫌悪のまなざしを向けている姿を目にすることが ります。それらはすべて、本来自由自在に「通り抜ける方」 であるイイススを、自分の欲望やプライドのために無理やり自分の元に独占し閉じ込めようとする傲慢な考えです。本当はイイススを閉じ込めるなんて出来ないのに。
私たちが福音を宣べ伝えるのは、自分たちの教えの正しさを押し付けるためではありません。 自由自在にあらゆる人の心を通り抜け、あらゆる人の元に現れるイイススとの出会いを喜び、 共有し、 その喜びをより多くの人に知ってもらうためです。 私も、あなたも、彼も彼女も、全ての人の心の壁を通り抜けて一つに繋ぐハリストスこそが私たちの喜びと希望です。その喜びと希望に本当の安らぎがあるからこそ私たちは人々を教会に招くのです。主がいつも私たちの間を 「通り抜けて」 あらゆる人々の元に訪れる方であること、そのことを忘れないでいたいものです。