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自由を守るために必要なもの

2026年6/1発行 会報『不来方より』抄録

 

バイキングやビュッフェという形式の食事スタイルがあります。 お客は空の皿を渡され、そこに好きな食べ物を好きなだけ盛り、席に戻ってそれを食べるというものです。 野菜を食べたい人も、肉を食べたい人も、自分の好みに合わせて選ぶことができる――そこには「自由」があります。

しかし、その自由は意外ともろい前提の上に成り立っていると言ったらどうでしょうか。

例えば、用意された料理をすべて自分の皿に盛り上げて持っていってしまう人がいたとしたら、あとから来た人はその料理を食べることができません。 あるいは、会場で食べることが前提のビュッフェ形式なのに、お弁当箱に詰めて持ち帰ろうとする人がいたらどうでしょう。 そうした行為が続けば、店側は「一品につき一盛りまで」と制限を設けたり、場合によってはビュッフェそのものを廃止せざるを得なくなるかもしれません。

結果として「自由」は失われ、私たちは「好きなものを好きなだけ食べることができる」という恩恵を手放すことになります。 「自由」は「自分勝手」によって取り上げられ、代わりに「不自由」が課されてしまうのです。

正教では「人は自由なものとして創造された」と考えますが、その自由は「自分勝手」とは異なります。 もちろん自由なので自分勝手に振る舞うこともできますが、それは自由そのものではなく、自由の“エラー状態”であり、主はそのような状態を「罪の奴隷である」と語りました(イオアン 8:34)。

一見自由に見える「自分勝手」は、自己中心性を根とする罪の状態であり、その罪に突き動かされた行動は、実は自由ではなく、ただの奴隷なのです。 聖使徒パウェルも、罪の状態を「自分のしたいことを行わず、憎んでいることをしている」(ロマ 7:15)と表現しています。

もし私たちが真の自由な状態でありたいと思うのであれば、その鍵は「愛」と「謙遜」の中にあります。

ビュッフェの例で言うなら、料理の大皿の前に立った時に 「他のお客さんともこの美味しさを分かち合いたい」 「自分にとって必要なのはこの程度の量だ」 といった優しさと慎ましさをもって料理を盛り付けることが、結果として会場にいるすべての人々を満足させます。

残り一個の料理を前にして、隣の人に「どうぞ」と譲った時、そこには料理を自分の皿に取る以上の「自由」があります。 「他の人はどうでもいいから自分が食べたいだけ食べたい」という自己中心性を、自分の意志で手放した時、私たちは罪の奴隷から離れ、真の自由を手に入れるのです。

いつも自分自身を省みていたいものです。 私たちは今、本当に自由な状態にあるのでしょうか。

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